日本各地には、さまざまなご当地うどんがあります。
その中でも「日本三大うどん」としてよく名前が挙がるのが、
讃岐うどん。
稲庭うどん。
水沢うどん。
です。
ところが、三つを実際に並べてみると、同じ「うどん」とは思えないほど違います。
太く、強いコシを楽しむ讃岐うどん。
細く、滑らかな喉ごしを楽しむ稲庭うどん。
透明感があり、弾力とのどごしを楽しむ水沢うどん。
なぜ、同じ小麦を中心に作る料理が、地域によってこれほど違うのでしょうか。
調べてみると、違っていたのは麺の太さや製法だけではありませんでした。
そもそも、それぞれの地域で「うどん」が果たしてきた役割が違っていたのです。
香川では、地域の人たちの暮らしに深く入り込んだ日常食。
秋田・稲庭では、手仕事によって磨かれ、藩の御用にもなった保存性のある高級品。
群馬・水沢では、寺院を訪れる参詣客や湯治客をもてなす門前の食。
三つのうどんをたどっていくと、その向こう側に、それぞれの土地の風土、産業、歴史、そして暮らしが見えてきます。
讃岐うどんは「その土地でできたものをいただく」ことから始まった
まず、香川県の讃岐うどんです。
讃岐うどんと聞けば、
「香川県民は、とにかくうどんが好き」
というイメージがあります。
もちろん、現在の香川にうどん文化が深く根付いていることは間違いありません。
しかし、
「うどんが好きだったから、うどん文化が発達した」
と考えると、少し順番が違うのかもしれません。
その前にあったのは、香川という土地の風土でした。
香川は瀬戸内式気候で、年間を通じて雨が少ない地域です。
水不足に悩まされることも多く、古くから多くのため池が造られてきました。
そうした土地で栽培されてきたものの一つが、小麦です。
そして讃岐うどんを構成するものを見てみると、さらに面白いことに気づきます。
小麦。
塩。
醤油。
いりこ。
うどんに必要なものが、地域の中や瀬戸内周辺で作られていました。
瀬戸内では塩づくりが盛んでした。
伊吹島周辺では、だしに使われるカタクチイワシが獲れます。
小豆島などでは醤油づくりも発達しました。
つまり、
小麦 × 塩 × 醤油 × いりこ
という讃岐うどんを支えるものが、この地域の中に揃っていたのです。
「地産地消しよう」と考えたわけではない
現代の言葉を使えば、「地産地消」に近いのかもしれません。
しかし、昔の人たちが、
「地域活性化のために地産地消を進めよう」
と考えてうどんを食べていたわけではありません。
もっと自然なことだったのでしょう。
その土地でできたものを、その土地の人たちがいただく。
小麦ができる。
塩が作られる。
魚が獲れる。
醤油が作られる。
それらを日々の食としていただく。
その積み重ねの中で、うどんが地域の暮らしへ深く入り込んでいった。
そして何世代にもわたって食べ続ければ、
「香川の人はうどんが好き」
という食文化になる。
つまり、
好きだから食べ続けたというより、その土地でできたものをいただき続けた。その長い積み重ねの中で、うどんが地域の人たちに愛される食文化へ育っていった。
そんな順番で考えると、讃岐うどんの見え方が少し変わります。
うどんは「特別な料理」ではなく、暮らしの中にあった
讃岐うどんは、単なる日常の食事だけでもありませんでした。
香川では、農作業や地域行事など、暮らしのさまざまな場面でうどんが食べられてきました。
農作業の節目。
地域の集まり。
祝い事。
人が集まる場。
そこに、うどんがある。
つまり讃岐うどんは、
「有名なご当地グルメ」になるずっと前から、地域の暮らしの中に存在していた料理
だったのです。
観光客のために作ったわけではない。
地域ブランドにするために作ったわけでもない。
その土地でできたものをいただきながら暮らしていたら、いつしか地域を代表する食文化になっていた。
ここが、讃岐うどんの面白さだと思います。
※讃岐うどんと香川の小麦・塩・いりこ・醤油、農村文化との関係については、農林水産省、文化庁、香川県観光協会などの情報を参考にしています。
稲庭うどんへ行くと、同じ「うどん」の世界が一変する
次は、秋田県湯沢市の稲庭うどんです。
讃岐うどんを見たあとに稲庭うどんを見ると、同じ料理とは思えないほど姿が違います。
細い。
平たい。
滑らか。
そして乾麺です。
作り方も大きく違います。
生地を切って、そのまま茹でるのではありません。
練る。
熟成させる。
細く延ばす。
2本の棒に8の字を描くように掛ける「手綯い」を行う。
さらに延ばす。
乾燥させる。
いくつもの工程を経て完成します。
この手間のかかる製法そのものが、稲庭うどんの大きな特徴です。
稲庭では「保存できるうどん」になった
稲庭うどんの歴史は江戸時代初期まで遡るとされています。
湯沢市の資料では、佐藤市兵衛が稲庭地区でうどんづくりを始めたと伝えられています。
そして、この地域でも小麦が作られていました。
湯沢市の商工業史では、地域の一部で水利条件が悪く、稲作に向かない場所があり、小麦などが栽培された背景が紹介されています。
しかし讃岐と大きく違うのは、その先です。
稲庭うどんは乾燥させます。
つまり、
保存できる。
この違いは大きい。
雪国で長く保存できる食品になる。
持ち運ぶこともできる。
そして手間をかけて作る。
すると、日常的にその場で食べるうどんとは違う価値が生まれていきます。
藩の御用になり、「特別なうどん」へ
稲庭うどんは、やがて藩の御用にもなりました。
湯沢市の資料では、1690年には藩主への御用を務めた記録があるとされています。
製法は長く一子相伝。
大量生産するものではない。
手間がかかる。
生産量も限られる。
そうすると、うどんでありながら、
特別なもの
になっていきます。
贈答に使われる。
上質な食品として扱われる。
そして製造技術そのものが地域に受け継がれる。
現在では稲庭うどんは、秋田を代表する食品であると同時に、湯沢地域を代表する伝統産業の一つになっています。
ここが讃岐との大きな違いです。
讃岐は「日常」、稲庭は「手仕事による産業」へ
もちろん、現在では讃岐うどんにも大きな産業がありますし、稲庭うどんも家庭で食べられています。
単純に二つへ分けることはできません。
しかし、歴史的な育ち方を見ると違いが見えてきます。
讃岐では、
その土地でできたものをいただく
↓
暮らしの中で食べ続ける
↓
地域の日常食として深く根付く
という流れが見えます。
一方、稲庭では、
地域で小麦を作る
↓
独特の手延べ製法で加工する
↓
乾燥させ、保存性を持たせる
↓
藩御用などの価値が付く
↓
技術が受け継がれる
↓
地域の伝統産業になる
という流れが見えてきます。
同じ小麦から作るうどんなのに、
地域の暮らし方によって、料理が持つ役割まで変わった。
ここが非常に面白いところです。
※稲庭うどんの製法・歴史・藩御用・地域産業との関係については、湯沢市などの公式情報を参考にしています。
水沢うどんは「外から来る人を迎える料理」だった
そして三つ目は、群馬県渋川市の水沢うどんです。
水沢うどんは、讃岐とも稲庭とも違う背景を持っています。
その理由を知るためには、うどんそのものを見る前に、
「どこで食べられてきたのか」
を見る必要があります。
水沢うどんの店が集まっている場所。
その近くにあるのが、
水澤寺(水澤観世音)
です。
水沢うどんは、この寺院の門前で育ってきた食文化なのです。
参詣客や湯治客に提供したことから始まった
渋川市によると、水沢うどんの歴史は400年以上前に遡るとされます。
水澤観世音へ参拝する人。
そして近隣の伊香保温泉などを訪れる湯治客。
そうした外からやって来る人たちへ、地元産の小麦と水沢の水を使ってうどんを提供したことが始まりとされています。
これが、讃岐や稲庭と大きく違うところです。
讃岐は、地域の暮らしの中で食べられてきた。
稲庭は、保存できる食品となり、手仕事による特別な品へ育った。
水沢は、
外から訪れる人を迎える料理
として発展した側面を持っています。
400年前から「観光地飲食」をやっていたとも言える
これを現代の言葉で見ると、とても面白いと思います。
観光客が来る。
その土地でできた小麦と水を使って料理を提供する。
地域ならではの食として記憶に残る。
「あそこへ行ったら、あれを食べよう」
という行動が生まれる。
そして店が集積する。
これって、
現在の観光地における飲食店の役割とほとんど同じです。
もちろん、当時「観光マーケティング」などという言葉はありません。
しかし、
地域へ訪れる人を、その土地の食でもてなす。
ということは、何百年も前から行われていた。
水沢うどんを見ると、ローカルフードと観光の関係が非常によく分かります。
そして現在、「水沢うどん街道」になった
現在、水澤寺周辺には多くの水沢うどん店が集まっています。
「水沢うどん街道」と呼ばれ、参拝だけでなく、うどんそのものを目的に訪れる人もいます。
ここでも面白い逆転が起きています。
最初は、
参拝客が来る
↓
うどんを提供する
だった。
しかし食文化が育つと、
うどんを食べたい
↓
水沢へ行く
という人まで現れる。
つまり、
観光客を迎えるために提供していた料理そのものが、今度は観光客を呼ぶ理由になった。
これがローカルフードの持つ力なのだと思います。
※水沢うどんの歴史、水澤寺、参詣・湯治との関係については、渋川市などの公式情報を参考にしています。
三大うどんは「麺」だけでなく、育ち方が違った
ここまで三つを見てみると、
「太さが違う」
「コシが違う」
「製法が違う」
という比較だけでは、三大うどんの本当の面白さを説明できないことが分かります。
讃岐うどん。
風土 × 地域でできたもの × 暮らし
から、地域の日常食へ。
稲庭うどん。
土地の条件 × 保存 × 手仕事 × 藩御用
から、伝統産業へ。
水沢うどん。
地元小麦 × 水 × 寺院 × 参詣・湯治
から、門前の食文化へ。
同じ「うどん」なのに、
地域の中で担ってきた役割そのものが違う。
だから麺の姿も、作り方も、食べられ方も違っていったのでしょう。
食文化は「好き」だけでは説明できない
今回、特に讃岐うどんを調べながら感じたことがあります。
私たちは現在の食文化を見て、
「香川県民はうどん好き」
「秋田では稲庭うどんが好まれている」
と、「好み」から説明してしまうことがあります。
しかし、その好み自体が最初から存在したとは限りません。
土地がある。
気候がある。
そこで作物ができる。
地域の人が、それをいただく。
暮らしの中で何度も食べる。
親から子へ食習慣が続く。
そうして何世代も経つうちに、
「この地域では、これが好き」
という食文化になっていく。
つまり、
風土が食を生み、暮らしが食習慣を生み、長い時間が地域の「好み」を作る。
そんな見方もできるのではないでしょうか。
三つとも、最後には「その土地へ行く理由」になった
そして現在。
讃岐うどんを食べるために香川へ行く人がいます。
何軒もの店を巡る「うどん巡り」そのものが旅の目的になります。
稲庭では、うどんを食べるだけでなく、製造工程を見たり、手作りを体験したりすることもできます。
水沢では、水澤寺の門前にうどん店が並び、うどん街道そのものが地域の観光の楽しみになっています。
生まれ方は違いました。
育ち方も違いました。
しかし、三つとも最後には、
「その土地へ行ったら食べたいもの」
になっています。
地域の日常や産業が、やがて観光資源になる
讃岐では、その土地でできたものをいただいてきた。
稲庭では、その土地の小麦を手仕事で加工し、保存できる食品へ磨いてきた。
水沢では、地域を訪れる人へ地元の小麦と水を使ったうどんを提供してきた。
どれも最初から、
「全国的なブランドにしよう」
「観光客を呼ぼう」
と考えて始まったわけではありません。
その地域の風土があり、暮らしがあり、人が食べ続けてきた。
あるいは、訪れる人をもてなすために提供し続けてきた。
その積み重ねが食文化になり、
やがてローカルフードとして知られるようになった。
そして今では、
「それを食べるために、その土地へ行く」
という人まで生まれています。
地域の日常。
地域の産業。
地域のもてなし。
そうしたものが長い時間をかけて、
観光資源へ育っていく。
三大うどんを見ていると、その過程がよく分かります。
同じ「うどん」だからこそ、地域の違いが見えてくる
讃岐、稲庭、水沢。
三つとも「うどん」です。
だからこそ、違いがよく見えます。
同じ小麦を使う料理でも、
その土地の風土。
そこで作られるもの。
暮らし方。
産業。
訪れる人。
によって、まったく違う文化へ育っていく。
料理だけを見ていたら、
「太い」
「細い」
「コシがある」
くらいの違いしか見えないかもしれません。
しかし、
「なぜ、この土地では、このうどんになったのか?」
を考えてみると、料理の向こう側に街や地域の姿が見えてきます。
そして、その違いを実際に食べ比べること。
それ自体が、旅の楽しみになります。
ローカルフードを食べることは、その土地の暮らしや歴史を少しだけ体験すること。
三大うどんは、その面白さをとても分かりやすく教えてくれる食文化なのだと思います。
この記事で参考にした主な情報
この記事では、讃岐・稲庭・水沢うどんの歴史や地域文化との関係について、以下の公式情報などを中心に確認しています。
・讃岐うどん:農林水産省、文化庁、香川県・香川県観光協会などの公式情報
・稲庭うどん:湯沢市公式情報、湯沢市の商工業史・文化財関連資料など
・水沢うどん:渋川市公式情報、水澤寺周辺の観光情報など
※「日本三大うどん」には複数の組み合わせが紹介される場合があります。本記事では、一般に三大うどんとして挙げられることの多い讃岐うどん・稲庭うどん・水沢うどんを取り上げています。また、各うどんの発祥や発展の理由には諸説があるため、特定の説を安易に史実として断定せず、行政・観光関連団体などが公表している情報を中心に考察しています。
