なぜ「やきとり」は、地域によって鶏ですらないのか?

「焼き鳥」と聞けば、鶏肉を串に刺して焼いた料理を思い浮かべます。

ところが日本各地を見てみると、豚肉なのに「やきとり」と呼ぶ街があり、串に刺さない焼き鳥まであります。

さらに、みそだれ、洋がらし、モツ串など、食べ方もまったく違います。

なぜ、同じ「やきとり」が地域によってこれほど違うのでしょうか。

その背景をたどると見えてきたのは、食肉産業、製鉄、炭鉱、屋台、商人、大学、そしてそこで働き暮らしてきた人たちの姿でした。

やきとりを入口に、街の暮らしが食文化をつくり、それがローカルフードとなり、やがて観光資源になっていく過程を考えてみます。

目次

「焼き鳥」と聞いたら、どんな料理を想像するでしょうか。

鶏肉を一口大に切る。

串に刺す。

炭火などで焼く。

塩やタレで食べる。

おそらく、多くの人がそんな料理を思い浮かべると思います。

ところが、日本各地の「やきとり」を調べてみると、この常識が次々と崩れていきます。

埼玉県東松山市では、豚のカシラ肉。

北海道室蘭市でも、主役は豚肉。

北海道美唄市では、鶏のさまざまな部位を一本の串に刺す。

愛媛県今治市へ行けば、そもそも串に刺さっていない。

福岡県久留米市では、鶏だけでなく豚、牛、馬、さらには魚介や野菜まで「焼きとり」の世界に入ってきます。

ここまで来ると、

「そもそも、焼き鳥って何なんだ?」

と思ってしまいます。

しかし、それぞれの地域の歴史を調べてみると、単に変わった焼き鳥を作ろうとして現在の形になったわけではないことが分かります。

食肉産業。

製鉄業。

炭鉱。

屋台。

そこで働いていた人たち。

地域で手に入りやすかった食材。

そして、街で暮らす人たちの食べ方。

それぞれの土地の事情が料理と結びつき、現在の「やきとり」へと育ってきました。

つまり、やきとりの違いを調べることは、

その街で人々がどのように働き、どのように暮らしてきたのかを調べること

でもあるのです。

東松山では、豚のカシラなのに「やきとり」

まずは埼玉県東松山市です。

東松山の「やきとり」で使われる代表的な肉は、鶏ではありません。

豚のカシラ肉です。

カシラとは、豚の頬やこめかみなど頭部周辺の肉です。

しかも、焼いたカシラに一般的な焼き鳥のタレをつけるわけではありません。

東松山では、唐辛子などを使った辛いみそだれをつけて食べます。

なぜ東松山では、こんな独特の「やきとり」が生まれたのでしょうか。

東松山市の公式情報によると、その背景には市内にあった食肉センターがあります。

昭和30年代、当時はまだ食用としてあまり利用されていなかった豚のカシラ肉を、安価で新鮮な状態で手に入れることができました。

そして、朝鮮半島出身の人がカシラ肉を串に刺して焼き、屋台で販売したことが東松山のやきとり文化の始まりとされています。

ここですでに、

食肉流通 × 屋台 × 外から持ち込まれた食文化

という地域の背景が見えてきます。

辛いみそだれにも、ちゃんと理由があった

さらに面白いのが、東松山の象徴ともいえる「みそだれ」です。

東松山市の資料では、朝鮮半島で肉に辛いみそをつけて食べていた食文化が、その背景として紹介されています。

つまり、

豚のカシラを焼く。

そこへ辛いみそだれをつける。

という東松山独特の食べ方は、単なる味付けのアイデアではありません。

異なる地域からやって来た人の食文化と、東松山で手に入りやすかった食材が出会って生まれたもの

とも見ることができます。

そして、みそだれ自体も地域の暮らしに合わせて変化していきます。

東松山市の資料では、サラリーマン客が増えてくると、みそだれが服に垂れにくいよう粘度を高くするなどの工夫がされたことも紹介されています。

これが面白い。

料理は、一度完成したら終わりではありません。

誰が食べるのかによって、タレまで変わっていく。

地域の日常に入り込むことで、料理も少しずつその街の料理になっていくのです。

「焼きたてを食べてもらう」ことまで文化になっている

東松山のやきとりには、提供方法にも特徴があります。

カシラは焼きたてがおいしい。

そのため、お客様が一本食べ終わる頃を見計らって、次の串を焼き上げる店の文化が紹介されています。

つまり、

まとめて何本も置いて終わりではない。

お客様の食べる速度を見ながら、焼きたてを提供する。

ここまで来ると、食文化とはレシピだけではないことがよく分かります。

肉。

みそだれ。

焼き方。

そして提供方法。

それらすべてを含めて、東松山の「やきとり」なのです。

※東松山のやきとりの歴史、カシラ肉、みそだれ、提供文化については、東松山市の公式情報を参考にしています。

室蘭も、豚肉なのに「やきとり」

埼玉県東松山市から遠く離れた北海道室蘭市にも、豚肉を「やきとり」と呼ぶ文化があります。

室蘭やきとりの代表的なスタイルは、

豚肉+玉ねぎ。

そこへ甘辛いタレ。

そして、洋がらしをつけて食べます。

ここでも、

「鶏じゃないのに、なぜ焼き鳥?」

となります。

しかし室蘭の歴史をたどると、東松山とはまったく違う背景が出てきます。

農林水産省の郷土料理情報によると、室蘭やきとりの始まりは1930年代頃とされています。

当時、豚の皮が軍靴などに利用されたことから養豚が奨励され、その過程で豚肉やモツも食べられるようになっていきました。

それらを串に刺して屋台などで販売したことが、室蘭やきとりの始まりとされています。

つまり室蘭の場合は、

養豚という時代背景から、豚の「やきとり」が生まれている。

東松山と同じ豚肉でも、そこへ至る物語は違うのです。

製鉄の街で、働く人たちに愛された

さらに室蘭を語るうえで欠かせないのが、製鉄です。

室蘭は「鉄のまち」として発展してきました。

製鉄所などで多くの人が働き、その周辺には飲食店や屋台が集まりました。

室蘭やきとりも、そうした働く人たちに親しまれていった食文化の一つです。

仕事を終えた人が酒を飲む。

そこに豚肉の串焼きがある。

甘辛いタレ。

洋がらし。

現在では「室蘭へ行ったら食べたい名物」ですが、もともとは、

そこで働く人たちの日常の中で食べられていたもの

だったのです。

そして串の間に挟むのは、長ねぎではなく玉ねぎ。

北海道で手に入りやすい食材が使われ、現在の室蘭やきとりの姿になっていったとされています。

豚肉 × 玉ねぎ × 甘辛いタレ × 洋がらし。

一串の中に、室蘭という街の歴史が入っています。

※室蘭やきとりの歴史については、農林水産省などの公式情報を参考にしています。

東松山と室蘭。同じ「豚のやきとり」でも理由は違う

ここで一度、二つの街を比べてみます。

東松山。

食肉センター × 豚カシラ × 屋台 × 辛いみそだれ。

室蘭。

養豚 × 製鉄の街 × 豚肉 × 玉ねぎ × 洋がらし。

どちらも、

「豚肉なのに、やきとり」

です。

しかし、その背景は同じではありません。

だから、

「この地域では豚を焼き鳥と呼ぶ文化があります」

だけで終わらせてしまうと、本当の面白さが見えてこない。

なぜ、その街で豚だったのか。

そこまで掘ることで、食文化の後ろに街の歴史が見えてきます。

美唄では、一羽の鶏が一本の串になる

次は北海道美唄市です。

美唄のやきとりは、東松山や室蘭とは違い、鶏を使います。

「それなら普通の焼き鳥では?」

と思います。

ところが、串を見ると全然違います。

美唄を代表する「モツ串」では、

鶏肉。

レバー。

ハツ。

砂肝。

皮。

内卵。

など、一羽から取れるさまざまな部位を一本の串に刺します。

普通の焼き鳥なら、

「もも」

「皮」

「レバー」

「砂肝」

と部位ごとに串を分けます。

美唄では、それを一本の串の中に一緒に入れてしまう。

なぜ、こんな焼き鳥になったのでしょうか。

「もったいない」から生まれたモツ串

農林水産省の郷土料理情報では、美唄やきとりの原型は昭和30年代頃に生まれたとされています。

当時、鶏の内臓や皮などは十分に利用されず、捨てられることもありました。

そこで、

「捨てるのは、もったいない」

と考え、一羽の鶏を余すところなく使うため、さまざまな部位を一串に刺した。

これが美唄のモツ串につながったとされています。

つまり、現在では観光客がわざわざ食べに行く特徴的な焼き鳥が、

食材を無駄にしない生活の知恵

から生まれているのです。

そして、美唄には炭鉱があった

美唄もまた、働く人たちの街でした。

かつて美唄には多くの炭鉱があり、たくさんの炭鉱労働者が働いていました。

モツ串は、そうした炭鉱で働く人たちにも好まれたとされています。

一日の仕事を終える。

酒を飲む。

一串の中にさまざまな部位が入った焼き鳥を食べる。

そして美唄でも、串に使われるのは長ねぎではなく玉ねぎ。

周辺が玉ねぎの産地で、良質なものを入手しやすかったことが背景として紹介されています。

つまり美唄の一串には、

一羽を無駄なく使う知恵 × 炭鉱労働者 × 地域農業

が詰まっているのです。

※美唄やきとりの歴史、モツ串、炭鉱や玉ねぎとの関係については、農林水産省などの公式情報を参考にしています。


もちろん。後半は今治・久留米から一気に広げて、最後は**「地域の日常が観光資源になる」**まで持っていきます。

今治では、とうとう「串」までなくなった

ここまで、

東松山では豚のカシラ。

室蘭でも豚肉。

美唄では一串にさまざまな鶏の部位。

と見てきました。

しかし、愛媛県今治市へ行くと、さらに焼き鳥の常識が崩れます。

串に刺さっていません。

今治を代表する焼き鳥の一つが「皮焼き」です。

鶏皮を鉄板に置き、その上からさらに鉄板で押さえつけるようにして焼いていきます。

串に刺して炭火でじっくり焼く、一般的な焼き鳥とはまったく違います。

では、なぜ今治ではこんな焼き方になったのでしょうか。

「早く食べたい」が焼き方まで変えた

農林水産省の郷土料理情報では、今治は商売人が多い土地柄で、「せっかち」ともいわれる市民の気質に、素早く焼き上げられる鉄板焼きが合ったと紹介されています。

鶏皮を熱い鉄板にのせる。

上から鉄板で押さえる。

すると鶏皮から脂が出ます。

その脂で揚げ焼きにするように火を通しながら、上から押さえることで蒸し焼きのような効果も生まれる。

短時間で火を通すことができます。

つまり今治では、

「焼き鳥は串に刺して焼くもの」

という料理の形そのものより、

「お客様に早く提供する」

ことが優先された結果、独特の焼き方が育ったとも考えられます。

これも非常に面白い。

料理は食材だけで変わるわけではありません。

お客様が何を求めているのかによって、調理方法そのものまで変わることがある。

今治焼き鳥は、そのことを教えてくれます。

※今治焼き鳥の鉄板焼きや地域性については、農林水産省などの公式情報を参考にしています。

今治焼き鳥は「早い」だけでは終わらなかった

そして、こうした焼き方が地域に定着すると、それ自体が「今治らしい食べ方」になっていきます。

串に刺さない。

鉄板で焼く。

上から押さえる。

カリッと焼けた鶏皮をタレで食べる。

今では、その違いを体験すること自体が今治で焼き鳥を食べる楽しみになっています。

ここでも、

地域の日常に合わせた工夫が、後から地域独自の価値になる

という流れを見ることができます。

久留米へ行くと「何を串に刺すか」の常識までなくなる

そして福岡県久留米市です。

久留米は「焼きとりの街」として知られています。

ところが久留米の焼きとり文化を知ると、

「焼き鳥=鶏肉」

という考え方が、ほぼ意味を失います。

鶏。

豚。

牛。

馬。

内臓。

魚介。

野菜。

巻物。

久留米では、さまざまな食材を串に刺して焼いたものが「焼きとり」の世界に入ってきます。

つまり久留米では、

「鶏を焼く料理」よりも、「串に刺して焼く食文化」

として発展してきたとも言えそうです。

久留米の焼きとりの後ろにも、街の産業がある

久留米の焼きとり文化は、昭和30年代頃の屋台文化などを背景に広がったとされています。

そして当時の久留米には、畜産や食肉流通とのつながりがありました。

さまざまな肉や内臓を利用できる環境があった。

さらに久留米は、ゴム産業などが発達した工業都市でもあります。

工場で働く人たちにとって、

安い。

気軽。

酒と一緒に楽しめる。

そんな焼きとりは、日常的に利用しやすい食べ物だったのでしょう。

ここでもまた、

地域産業 × 働く人 × 屋台 × 食肉文化

が出てきます。

焼き鳥を調べているはずなのに、街の産業史が見えてくる。

今回、何度も出てくる現象です。

「ダルム」という名前から、大学の街まで見えてくる

そして久留米には、さらに面白い文化があります。

焼きとり店で使われる、

「ダルム」

という言葉です。

ダルムは、豚などの腸を使った串として知られています。

なぜ「腸」と呼ばず、ダルムなのでしょうか。

「Darm」はドイツ語で腸を意味します。

文化庁の「100年フード」でも、久留米には医科大学があり、医学生がドイツ語の医学用語を使っていたことから、こうした呼び名が焼きとり店に定着したと紹介されています。

ほかにも心臓を意味する「ヘルツ」など、医学用語に由来する呼び方が使われてきました。

これ、ものすごく面白いと思います。

食材でもない。

調理法でもない。

料理の「呼び方」にまで、街の大学文化が入り込んでいる。

久留米の焼きとりを食べると、

畜産。

食肉流通。

屋台。

工場。

そして医学生。

まったく違う街の要素が、一つの食文化の中でつながっているのです。

※久留米の焼きとり文化や「ダルム」などの呼称については、文化庁、福岡県などの公式情報を参考にしています。

まだまだある、日本各地の「やきとり文化」

もちろん、特徴的なやきとり文化を持つ地域は、この5つだけではありません。

山口県長門市にも、独自の焼き鳥文化があります。

鶏肉だけでなく豚肉なども串にし、長ねぎではなく玉ねぎを使う。

さらに卓上にはガーリックパウダーや一味、七味などが置かれ、自分好みの味にして食べる文化があります。

長門は養鶏とのつながりも深く、現在では「やきとりの街」として地域全体で発信されています。

山形県寒河江市も面白い地域です。

寒河江では「やきとり」と呼びながら、豚モツが中心。

寒河江市の公式情報では、かつて地域に食肉加工場があり、新鮮な豚モツを手に入れやすかったことなどが、この食文化が根付いた背景として紹介されています。

ほかにも日本各地を探していけば、その土地ならではの「やきとり」がまだまだあります。

同じ名前の料理なのに、地域へ行くと材料も、焼き方も、味付けも、食べ方も違う。

だからローカルフードは面白いのです。

5つの「やきとり」を並べると、街の違いが見えてくる

今回取り上げた5地域を、改めて並べてみます。

東松山。

食肉流通 × 豚カシラ × 屋台 × 辛いみそだれ。

室蘭。

養豚 × 製鉄の街 × 豚肉 × 玉ねぎ × 洋がらし。

美唄。

一羽を使い切る知恵 × 炭鉱労働者 × 玉ねぎ。

今治。

商人の街 × スピード × 鉄板焼き。

久留米。

食肉文化 × 屋台 × 工場 × 医学生。

同じ「やきとり」という名前です。

しかし、背景はまったく違います。

そして、その違いを生み出したのは、

その街で手に入ったもの。
その街で働いていた人。
その街にあった産業。
その街で暮らしていた人たちの生活。

なのです。

全国共通の「正しい焼き鳥」なんて、地域では意味がない

ここまで見てくると、一つ面白いことに気づきます。

一般的には、

「焼き鳥とは鶏肉を串に刺して焼いたもの」

と説明できます。

しかし、それを全国共通の正解として地域の食文化を見ると、

東松山は「間違っている」。

室蘭も「間違っている」。

今治なんて串に刺していないから、さらに「間違っている」。

ということになってしまいます。

でも、もちろんそんなことはありません。

地域の食文化にとって重要なのは、

全国共通の料理の定義に合っているかではなく、その土地でどう食べられてきたか

なのだと思います。

何十年も地域の人たちが、

「やきとりを食べに行こう」

と言って豚肉を食べてきたのなら、それがその街の「やきとり」です。

串に刺さっていなくても、今治の人たちが焼き鳥として育ててきたのなら、それが今治の焼き鳥です。

ローカルフードには、全国共通の正解がない。

むしろ、その「違い」こそが地域文化なのです。

「やきとり」が変わったのではなく、街の暮らしが入り込んだ

最初は、

「全国に広がった焼き鳥が、地域ごとに少しずつ変化したのだろう」

くらいに考えていました。

しかし、今回それぞれの地域を調べてみると、少し違う見方ができるようになりました。

豚のカシラを手に入れやすかった街。

養豚が行われていた街。

炭鉱労働者がいた街。

製鉄所で働く人がいた街。

商売人が多かった街。

さまざまな肉や内臓が流通していた街。

医学生が暮らしていた街。

それぞれの地域に、それぞれの事情があった。

そして、その事情が「やきとり」という料理の中に入り込んでいった。

だから、

「やきとり」が地域ごとに変わったというより、その街の暮らしが「やきとり」の中に入り込んだ。

そう考えたほうが、この違いを説明しやすいように思います。

食文化は、料理人だけが作るものではない

今回の5地域を見ても、食文化を作ったのは料理人だけではありません。

食肉センターがあった。

工場があった。

炭鉱があった。

製鉄所があった。

屋台があった。

大学があった。

地域で玉ねぎが作られていた。

そこで働き、暮らし、食べる人たちがいた。

料理人は、そうした地域の環境やお客様に合わせて料理を作ってきました。

その積み重ねが何十年も続くと、

その街にしかない食文化になる。

文化、風土、産業、暮らし。

やはり、それらは食文化と切り離して考えることができないのだと思います。

地元の日常だった「やきとり」が、観光客の目的になる

そして現在、今回紹介した地域のやきとりは、地元の人だけが食べる料理ではなくなっています。

東松山へ行ったら、カシラにみそだれをつけて食べてみたい。

室蘭へ行ったら、豚肉と玉ねぎのやきとりに洋がらしをつけてみたい。

美唄へ行ったら、一串にいろいろな部位が入ったモツ串を食べたい。

今治へ行ったら、串に刺さっていない鉄板焼きの焼き鳥を体験したい。

久留米へ行ったら、「ダルム」を注文してみたい。

ここまで来ると、

焼き鳥を食べること自体が、その街を訪れる楽しみになります。

しかも面白いのは、最初から観光客のために作った料理ではないことです。

その土地で働く人たちが食べていた。

地域の人たちが酒を飲みながら楽しんでいた。

昔から普通に食べられていた。

それが長い時間をかけてローカルフードになり、

外から来た人にとっては、

「ここでしか体験できない食文化」

になったのです。

地域の日常が、やがて観光資源になる

観光地で新しい名物を作ろうとすると、

「何か珍しい料理を作ろう」

「写真映えするものを作ろう」

と考えてしまうことがあります。

しかし、今回のやきとり文化を見ると、別の可能性が見えてきます。

新しく作る前に、

この地域の人たちは、昔から何を食べてきたのか。

を調べてみる。

なぜ、この肉なのか。

なぜ、この味なのか。

なぜ、この食べ方なのか。

なぜ、この呼び方なのか。

その「なぜ?」を掘っていくと、料理の後ろから街の歴史が見えてくることがあります。

そして、その物語まで含めて外から来た人に伝える。

すると、

ただの串焼きだったものが、

「この街で食べてみたいもの」

へ変わっていきます。

地域の日常として生まれる。

長く食べられ、食文化になる。

その土地を代表するローカルフードになる。

そして、

「これを食べるために、この街へ行ってみたい」

と思う人が現れる。

地域の日常が、やがて観光資源になる。

東松山、室蘭、美唄、今治、久留米。

まったく違う5つの「やきとり」を見ていると、その過程がよく分かります。

焼き鳥の違いを調べていたはずなのに、見えてきたのは、それぞれの街で暮らしてきた人たちの姿でした。

だから旅先でローカルフードに出会ったら、

「変わった料理だな」

だけで終わらせず、

「なぜ、この街ではこうなったんだろう?」

と考えてみる。

その「なぜ?」の向こう側に、その街でしか出会えない物語があるのだと思います。

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