「ちゃんぽん」と聞けば、多くの人が最初に思い浮かべるのは、
長崎ちゃんぽん
ではないでしょうか。
太い麺。
豚肉。
魚介。
たっぷりの野菜。
それらを一つの鍋で調理し、白濁したスープと一緒に食べる。
長崎を代表するローカルフードです。
ところが、日本各地の食文化を調べていると、不思議なことに気づきます。
佐賀にもちゃんぽんがある。
北九州にもある。
愛媛にもある。
そして九州から遠く離れた、
滋賀県にも「ちゃんぽん」がある。
しかも、全部同じ料理ではありません。
使う麺が違う。
スープが違う。
具材が違う。
生まれた理由まで違う。
なぜ、日本各地にこれほど違う「ちゃんぽん」が存在するのでしょうか。
調べていくと、
料理は、その土地へ入った瞬間から、その街の暮らしに合わせて変わっていく。
そんな食文化の面白さが見えてきました。
まず長崎。ちゃんぽんは「外国料理」ではなかった
まずは、ちゃんぽんの原点として知られる長崎です。
長崎は、古くから海外との交流が盛んな港町でした。
中国との交流も深く、多くの中国人が暮らしていました。
そんな長崎で、明治時代に生まれたとされるのが長崎ちゃんぽんです。
その誕生に大きく関わったとされるのが、中国福建省出身の料理人・陳平順です。
長崎で中国料理店を営んでいた陳平順は、長崎へやって来た中国人留学生たちの生活を見ていました。
彼らは決して裕福ではありませんでした。
そこで、
安く食べられる。
栄養がある。
お腹いっぱいになる。
そんな料理を食べさせたいと考えた。
そこで中国福建省の麺料理などをベースに、長崎で手に入る野菜、豚肉、魚介などをたっぷり使った料理を作った。
これが長崎ちゃんぽんの始まりとされています。
最初から「長崎名物」を作ろうとしたわけではない
ここが、とても面白いと思います。
現在では、
「長崎へ行ったらちゃんぽん」
というほどの観光名物です。
しかし最初から、
「長崎の新しい名物を作ろう」
「観光客に売れる料理を開発しよう」
と考えて生まれたわけではありません。
目の前にいる学生たちに、
安く、栄養のあるものを、お腹いっぱい食べてもらいたい。
そこから始まった。
つまり長崎ちゃんぽんは、
誰かの困りごとを解決するために生まれた料理
だったとも言えます。
それが地域で食べられる。
店が続く。
ほかの店にも広がる。
地域の人たちが食べる。
そして何十年という時間を経て、
長崎を代表する食文化になる。
これまで「街から学ぶ」で何度も見てきましたが、ここでも、
名物は最初から名物として生まれるわけではない
ということが分かります。
「ちゃんぽん」という料理自体が、混ぜ合わせる料理だった
長崎ちゃんぽんの面白さは、もう一つあります。
一杯の中に、
野菜。
肉。
魚介。
麺。
さまざまなものが入る。
中国料理を背景に持ちながら、長崎で手に入る食材も取り込んでいく。
つまり誕生した時点から、
異なるものを一つの料理へ取り込む性格
を持っていたとも考えられます。
だからこそ、この料理が別の街へ伝わったとき、その土地の食材や暮らしを取り込みやすかったのかもしれません。
ここから、ちゃんぽんは長崎を離れていきます。
※長崎ちゃんぽんの成立については、農林水産省、長崎県・長崎市の観光・食文化関連情報などを参考にしています。
佐賀へ行くと、ちゃんぽんは「炭鉱の食事」になる
長崎から佐賀へ。
ここでちゃんぽんは、また違う顔を見せます。
佐賀県武雄市北方町。
現在では国道34号沿いを中心にちゃんぽん店があり、
「武雄・北方ちゃんぽん街道」
として知られています。
なぜ、この場所にちゃんぽん文化があるのでしょうか。
その背景にあるのが、
炭鉱です。
北方町周辺は、かつて炭鉱の町として栄えました。
多くの人が炭鉱で働く。
当然、働く人たちが食事をする。
そこで求められたのが、
安い。
早い。
栄養がある。
そして、
腹いっぱいになる。
そんな料理でした。
そこへ、ちゃんぽんが合ったのです。
長崎と同じ料理でも、炭鉱町へ来れば求められるものが変わる
長崎ちゃんぽんには、魚介類も多く使われます。
しかし北方町は海沿いの街ではありません。
そこで、地域で手に入りやすい野菜や豚肉、かまぼこなどをたっぷり使う。
そして働く人たちの腹を満たすために、
ボリュームのあるちゃんぽん
へ育っていった。
ここが面白い。
料理が別の街へ移動すると、そのままコピーされるわけではない。
その街で、誰が食べるのか。
によって変わるのです。
長崎では、中国人留学生に安く栄養のある食事を提供するところから始まった。
北方では、炭鉱で働く人たちがしっかり食べる料理になった。
同じちゃんぽんでも、
食べる人が変われば、料理の役割も変わる。
炭鉱がなくなっても、ちゃんぽんは残った
そして、さらに面白いのはここからです。
炭鉱は閉山しました。
しかし、
ちゃんぽん文化は残った。
炭鉱で働く人のために食べられていた料理が、地域の人たちに受け継がれる。
店が残る。
家族で食べる。
地域外からも人が訪れる。
そして現在では、
「武雄・北方ちゃんぽん」
という地域の食文化になっています。
つまり、
産業が食文化を作り、その産業がなくなった後も食文化だけが地域に残る。
これ、ものすごく面白い現象だと思います。
地域産業は工場や炭鉱だけを残すわけではありません。
そこで働いていた人たちの暮らしを通じて、
食文化まで地域に残すことがある。
佐賀のちゃんぽんを見ると、そのことがよく分かります。
※武雄・北方ちゃんぽんと炭鉱町の歴史については、佐賀県公式観光情報、武雄市などの情報を参考にしています。
北九州・戸畑では、ちゃんぽんの「麺」まで変わった
次は福岡県北九州市戸畑区です。
ここにも、
戸畑ちゃんぽん
という独自のちゃんぽん文化があります。
見た目だけなら、ちゃんぽんです。
野菜が入る。
肉などが入る。
スープがある。
ところが、大きな違いがあります。
麺です。
戸畑ちゃんぽんでは、一般的なちゃんぽん麺とは違い、
蒸し麺
が使われます。
なぜ、わざわざ蒸し麺を使うのでしょうか。
ここでも街の歴史が関係しています。
製鉄の街では、「早く食べられること」が重要だった
北九州は、日本を代表する工業都市として発展してきました。
特に八幡製鐵所をはじめとする鉄鋼業は、地域の発展に大きな影響を与えました。
多くの労働者が働く。
仕事の合間に食事をする。
そこで重要になるのが、
提供の速さ。
一般的な生麺に比べ、蒸し麺は調理時間を短くしやすい。
そのため、忙しく働く人たちへ素早く提供できる料理として、蒸し麺を使ったちゃんぽんが地域に根付いたとされています。
つまり、
製鉄の街
↓
多くの労働者
↓
短い時間で食事をしたい
↓
早く提供できる蒸し麺
↓
戸畑ちゃんぽん
という流れです。
街の「時間」が、麺を変えた
これまで、地域によって料理が変わる理由をいろいろ見てきました。
気候が変える。
食材が変える。
産業が変える。
地域の味覚が変える。
しかし戸畑では、
「食べる時間」まで料理を変えている。
ここが面白い。
働く人が、
「早く食べたい」
というだけで、麺そのものが変わる。
以前、伊勢うどんでは、大勢の参宮客へ素早く提供するために麺を茹で続けたという話がありました。
博多うどんでも、忙しい商人がすぐ食べられるよう、茹で置き文化が柔らかいうどんにつながったといわれています。
そして戸畑では、
蒸し麺。
違う地域。
違う料理。
それでも、
「早く食べてもらいたい」
という暮らしの事情が、料理そのものを変えている。
食文化を見ていると、街で暮らす人たちの時間まで見えてくるのです。
※戸畑ちゃんぽんの蒸し麺や地域産業との関係については、北九州市などの地域・観光関連情報を参考にしています。
港町・八幡浜では、海を渡ってちゃんぽん文化がやってきた
次は、九州を離れて四国へ向かいます。
愛媛県八幡浜市。
ここにも、
八幡浜ちゃんぽん
という地域の食文化があります。
なぜ四国の八幡浜に、ちゃんぽん文化があるのでしょうか。
その背景を見ると、八幡浜という街の立地が見えてきます。
八幡浜は、古くから海上交通によって発展してきた港町です。
特に九州とのつながりが強く、人だけではなく、さまざまな物や文化が海を渡って行き来してきました。
その交流の中で、ちゃんぽんにつながる麺文化も八幡浜へ入り、地域の食文化と融合していったと八幡浜市は紹介しています。
つまり、
人が移動する。
物が移動する。
そして、
料理も移動する。
ということです。
港は、食文化の入口にもなる
これまで港町の食文化を調べると、何度も同じ現象が出てきました。
港が開かれる。
外から人が来る。
新しい食材が入る。
新しい料理が入る。
そして地域の人たちが、それを食べる。
長崎ちゃんぽんも、そもそも海外との交流が盛んな港町だったからこそ生まれた料理でした。
八幡浜では、海外ではなく、
九州をはじめとする国内の地域との海上交流
が食文化を運んだ。
同じ「港町」でも、交流する相手が違う。
それでも、
人の移動と一緒に食文化が移動する
という構造は同じです。
八幡浜ちゃんぽんは、港町が食文化を受け入れ、自分たちの地域へ根付かせていった例として見ることができます。
八幡浜でも、ちゃんぽんは地域の日常になった
八幡浜市では、ちゃんぽんを地域のソウルフードとして紹介しています。
つまり、観光客のためだけに存在する料理ではありません。
地域の人たちが普段から食べてきた。
店が続く。
街の中にちゃんぽんを出す店がある。
そして後から、
「八幡浜へ行ったら、ちゃんぽんを食べたい」
という観光客も現れる。
ここでも、
地域の日常食
↓
地域の食文化
↓
観光資源
という流れが見えてきます。
※八幡浜ちゃんぽんと港町の交流については、八幡浜市などの公式情報を参考にしています。
実は、ちゃんぽん文化はまだまだ全国にある
ここまで、
長崎。
佐賀・武雄北方。
北九州・戸畑。
愛媛・八幡浜。
と見てきました。
しかし、ご当地ちゃんぽんはこれだけではありません。
長崎県内でも、小浜や平戸などに独自のちゃんぽん文化があります。
熊本県天草。
佐賀県唐津。
さらに地域によっては、鳥取や兵庫などにも「ちゃんぽん」と呼ばれる料理があります。
それぞれを見ていけば、
地元の魚介が入る。
野菜が変わる。
スープが変わる。
麺が変わる。
地域の暮らしに合わせて姿を変えている。
つまり、
ちゃんぽんという料理は、各地の食文化を取り込みながら地域ごとの料理へ変化しやすい。
そんな特徴を持っているようにも見えます。
ここまで調べた私は、ある程度こう考えていました。
長崎で生まれたちゃんぽんが各地へ伝わり、それぞれの街で姿を変えていったのだろう。
ところが。
滋賀県のちゃんぽんを調べたところで、この考え方が少し崩れます。
なぜ、滋賀県に「ちゃんぽん」があるのか?
滋賀県彦根市。
ここには、
近江ちゃんぽん
というご当地料理があります。
九州からは、かなり離れています。
長崎から陸路で伝わったのか。
九州出身の人が滋賀へ持ち込んだのか。
最初は、そんなことを想像しました。
ところが、近江ちゃんぽんの歴史を調べてみると、どうも違います。
近江ちゃんぽんは、1963年に彦根市の一軒の麺類食堂で生まれたとされています。
しかも、その店はもともと、
うどんやそばを提供する麺類食堂。
そこで使われていたのは、
削り節や昆布を使った和風のだし
でした。
長崎ちゃんぽんの白濁したスープとは、出発点から違います。
「野菜をたくさん食べてもらいたい」から生まれた
店主が考えたのは、
野菜をたくさん、おいしく食べてもらえる麺料理を作りたい
ということだったとされています。
そこで、
和風だしを使う。
野菜をたっぷり入れる。
豚肉などを加える。
中華麺と合わせる。
一つの手鍋で煮込む。
こうして生まれた料理が、後に近江ちゃんぽんとして広がっていきました。
つまり、
長崎ちゃんぽんを滋賀風に改良した
という単純な話ではなかったのです。
むしろ、
彦根の一軒の食堂が独自の麺料理を作り、それが「ちゃんぽん」と呼ばれた。
と見るほうが近い。
ここで、今回の記事の前提が一度ひっくり返ります。
同じ「ちゃんぽん」でも、同じルーツとは限らない
長崎ちゃんぽん。
近江ちゃんぽん。
名前は同じです。
しかし、比べてみるとかなり違います。
長崎では、中国料理を背景に、豚肉、魚介、野菜などを使った料理として生まれた。
近江では、和風だしをベースに、野菜をたっぷり食べる麺料理として生まれた。
スープも違う。
味も違う。
成立の背景も違う。
そして今回調べた範囲では、
なぜ彦根の店主が、この料理を「ちゃんぽん」と名付けたのか
という直接的な理由までは、はっきり確認できませんでした。
ここは無理に物語を作らないほうがいいと思います。
ただ、確かなのは、
長崎とはかなり違う「ちゃんぽん」が、滋賀で生まれ、地域の人たちに支持された
ということです。
一軒の食堂の商品が、滋賀の食文化になる
そして近江ちゃんぽんには、最近の記事で何度も見てきた現象がまた登場します。
最初は、
一軒の店の商品
です。
地域全体の郷土料理ではない。
昔から滋賀県民が家庭で食べていた料理でもない。
一軒の食堂が作った。
お客様が食べる。
支持される。
店が広がる。
地域の人たちが食べる。
やがて、
「近江ちゃんぽん」
という地域名まで付く。
そして現在では、滋賀を代表するご当地グルメの一つとして紹介されるようになる。
札幌味噌ラーメンでも見ました。
高崎パスタでも見ました。
名古屋めしでも見ました。
地域文化は、必ずしも何百年も前から存在している必要はない。
今、一軒の飲食店で生まれた料理が、
何十年という時間をかけて、
地域の食文化へ育つこともあるのです。
5つのちゃんぽんは、生まれ方まで違っていた
ここまでを整理してみます。
長崎ちゃんぽん
海外との交流が盛んな港町で、中国人留学生に安く栄養のある料理を食べてもらいたいという思いから生まれた。
武雄・北方ちゃんぽん
炭鉱の街で、働く人たちが安く、早く、腹いっぱい食べられる料理として根付いた。
戸畑ちゃんぽん
製鉄をはじめとする工業の街で、素早く提供するために蒸し麺が使われるようになった。
八幡浜ちゃんぽん
九州などとの海上交通で栄えた港町へ食文化が入り、地域の日常食として根付いた。
そして、
近江ちゃんぽん
長崎から遠く離れた彦根の一軒の食堂で、和風だしとたっぷりの野菜を使った独自の麺料理として生まれた。
同じ、
「ちゃんぽん」
という名前です。
でも、
生まれた理由まで違う。
ここが、ちゃんぽん文化の面白さなのだと思います。
料理は、その街へ着くと「その街の料理」になる
料理が別の地域へ伝わる。
そのとき、
「本場のレシピを完全に再現しなければならない」
というルールはありません。
海がなければ、魚介が減るかもしれない。
働く人が多ければ、ボリュームが必要になる。
短時間で食べる必要があれば、麺が変わるかもしれない。
地域のだし文化が強ければ、スープが変わる。
そして、その料理を地域の人たちが長く食べる。
すると、
外から来た料理だったものが、その街の料理になっていく。
食文化は、移動しながら変わるのです。
「本場と違う」は、間違いではない
これは、ローカルフードを見るときに大切なことだと思います。
近江ちゃんぽんを食べて、
「こんなの長崎ちゃんぽんじゃない」
と言うことはできます。
戸畑ちゃんぽんを見て、
「ちゃんぽん麺じゃない」
と言うこともできるかもしれません。
しかし、
本場と違うから、間違っているのでしょうか。
私は、そうではないと思います。
なぜ違うのか。
そこを見る。
すると、
地域の産業。
働く人。
港。
食材。
だし文化。
店の商品開発。
その街の事情が見えてきます。
つまり、
「本場と違う」という違和感こそ、その土地の食文化を知る入口になる。
のです。
ローカルフードは、「その土地だけで生まれた料理」とは限らない
ローカルフードというと、
昔からその土地だけで食べられてきた郷土料理を想像しがちです。
しかし、今回ちゃんぽんを調べてみると、それだけではないことが分かります。
外から伝わってきた料理を、
その土地の暮らしに合わせて変える。
それを地域の人が食べ続ける。
やがて、その土地の味になる。
あるいは近江ちゃんぽんのように、
一軒の店の商品が地域で支持され、
後から地域名を背負う料理になることもある。
つまり、
ローカルフードは「どこで生まれたか」だけでは決まらない。
どこで育ち、誰に食べられ、その街でどんな意味を持つようになったのか。
そこまで見て初めて、その料理と地域の関係が分かるのだと思います。
ちゃんぽんを食べれば、その街で働いてきた人が見えてくる
長崎では、留学生。
佐賀・北方では、炭鉱で働く人たち。
戸畑では、工業都市で働く人たち。
八幡浜では、港を行き交った人たち。
彦根では、一軒の食堂へ通った地域のお客様。
ちゃんぽんを見ているだけなのに、
その街で暮らし、働いてきた人たちの姿が見えてくる。
