「神戸牛」は知っている。
でも、
「但馬牛は?」
と聞かれると、急に自信がなくなる。
そんな人は、私だけではないと思います。
神戸牛は、世界でも知られている日本を代表するブランド牛です。
一方の但馬牛。
名前は聞いたことがあっても、
「兵庫県のブランド牛でしょう?」
くらいの認識だった人も多いのではないでしょうか。
ところが、和牛について調べていくと、この但馬牛がとんでもなく重要な存在だったことが分かってきます。
神戸牛の素牛が但馬牛なのはもちろんですが、それだけではありません。
兵庫県北部の但馬地方で守られてきた牛の血統は、日本の黒毛和種そのものの改良にも大きな影響を与えてきました。
華やかな「神戸牛」の後ろに、こんな世界があったとは知りませんでした。
まず「但馬牛」には二つの意味がある
最初から少しややこしい話です。
同じ「但馬牛」と書いて、
但馬牛(たじまうし)
と
但馬牛(たじまぎゅう)
があります。
「たじまうし」は、兵庫県で長年改良・維持されてきた牛そのもの、つまり血統や生体としての但馬牛。
その但馬牛を素牛として兵庫県内で肥育し、一定の基準を満たして食肉となったものが「但馬牛(たじまぎゅう)」です。
そして、その但馬牛の中から、さらに厳しい肉質や枝肉の基準をクリアしたものだけが、
神戸ビーフ、いわゆる神戸牛
になります。
神戸肉流通推進協議会も、神戸ビーフについて、
「神戸ビーフの素牛は但馬牛」
と明確に説明しています。
つまり、
但馬牛 → その中から条件を満たす → 神戸牛
という関係です。
神戸牛という別の牛がいるわけではありません。
第1話でも少し触れましたが、この関係を理解すると神戸牛の見え方がかなり変わります。
但馬牛の歴史は、神戸牛よりはるかに古い
但馬牛のふるさとは、兵庫県北部の但馬地方です。
日本海に面した山の多い地域で、平地は決して多くありません。
但馬牛は、もともと肉を取るためだけの牛ではありませんでした。
田畑を耕す。
荷物を運ぶ。
山間部の農作業を支える。
農家にとって、生活をともにする大切な働き手でした。
農林水産省によれば、但馬牛の起源は約1200年前までさかのぼり、但馬地方で農耕用の役牛として使われてきた歴史があります。
山間部の狭い棚田で働くには、大きな牛よりも、小柄で丈夫で動きやすい牛が適していた。
そうした地域の環境の中で、長い時間をかけて牛が選ばれてきたわけです。
つまり、
但馬牛は最初から「高級ブランド牛」として作られたわけではない。
地域の暮らしの中から生まれた牛なのです。
ここが面白いところです。
但馬では、牛にも「戸籍」が作られていた
さらに驚いたのが、血統管理です。
兵庫県美方地域では、明治30年頃、全国に先駆けて「牛籍簿」が整備されました。
人間でいう戸籍のように、
どの牛から生まれたのか。
父はどの牛なのか。
母はどの牛なのか。
その血統を記録していったのです。
農林水産省は、この牛籍簿が全国の和牛改良の基礎になったと紹介しています。
今なら、家畜の血統管理は当たり前に感じます。
でも100年以上前から、
「良い牛を作るには、血統を残さなければならない」
と考え、地域ぐるみで記録していた。
これは相当なことだと思います。
そして但馬地方では、むやみに外部の牛を入れるのではなく、地域内の血統を大切にしながら改良を続けてきました。
その結果、但馬牛独自の遺伝資源が残されました。
農林水産省は、美方地域について、全国の黒毛和種で唯一、郡内産にこだわった改良を続け、独自の遺伝資源を保存してきた地域としています。
そして登場する「田尻号」
但馬牛を調べていくと、必ず出てくる牛がいます。
田尻号(たじりごう)
です。
1939年、現在の兵庫県美方郡香美町で生まれた種雄牛です。
なぜ、この一頭の牛がそんなに重要なのか。
農林水産省の世界農業遺産の紹介では、田尻号について、
全国の黒毛和種の99.9%の祖先に登場する名種雄牛
と紹介しています。
99.9%。
この数字には驚きます。
もちろん「全国の牛が田尻号の子ども」という単純な意味ではありません。
何世代にもわたり血統をたどっていくと、現在の黒毛和種のほとんどに田尻号の血が入っている、ということです。
そうなると、
神戸牛だけの話ではなくなってきます。
松阪牛。
近江牛。
米沢牛。
飛騨牛。
前沢牛。
私たちが各地で目にする有名ブランド牛の多くも黒毛和種です。
その黒毛和種をたどっていくと、但馬の血統とつながってくる。
但馬牛が「和牛の源流」と呼ばれる理由が、少し見えてきます。
なのに、なぜ但馬牛は神戸牛ほど有名ではないのか
ここで素朴な疑問が出てきます。
これほど重要なら、
なぜ但馬牛の方が有名ではないのか。
これは少し考えると面白い問題です。
但馬牛は「育てる側の世界」で非常に重要な存在です。
血統。
繁殖。
子牛。
改良。
肥育。
そうした和牛生産の土台に深く関わっています。
一方、私たち消費者が接するのは、牛そのものよりも「牛肉」です。
レストランで目にするのは、
「神戸牛ステーキ」
「神戸牛すき焼き」
「神戸牛鉄板焼き」
という名前です。
しかも「KOBE BEEF」は、海外でも強いブランドになりました。
つまり、
但馬牛は「作る側から見た重要性」が大きく、
神戸牛は「食べる側から見た知名度」が大きい。
そんな違いがあるのかもしれません。
実際、但馬牛と神戸ビーフは別々の地理的表示(GI)として登録されています。
但馬牛はGI登録第2号、神戸ビーフは第3号。
どちらも2015年12月22日に登録されました。
但馬牛は単なる「神戸牛になる前の牛」ではなく、それ自体が保護された地域ブランドなのです。
すべての但馬牛が神戸牛になるわけではない
ここも重要です。
但馬牛として認められた牛肉の中から、さらに厳しい条件をクリアしたものだけが神戸牛になります。
神戸肉流通推進協議会の基準では、神戸ビーフになるには、但馬牛であることを前提に、
- 未経産牛または去勢牛であること
- 歩留・肉質等級がA・Bの4等級以上であること
- 脂肪交雑を示すBMS値がNo.6以上であること
- 枝肉重量が定められた範囲内であること
などの条件を満たさなければなりません。
つまり、
但馬牛だから自動的に神戸牛になるわけではない。
但馬牛の中の選抜された牛肉だけが、神戸牛を名乗れる。
2024年度の認定実績を見ると、但馬牛7,330頭に対し、神戸ビーフ認定は6,820頭でした。
こうして数字を見ると、両者の関係も分かりやすくなります。
「神戸牛はすごい」で終わらせるのは、少しもったいない
観光地の飲食店では、
「神戸牛使用」
と書けば、それだけでも十分に商品価値があります。
ブランド力が強いからです。
でも、今回但馬牛について調べてみて思ったのは、
神戸牛だけを説明するのは、少しもったいない
ということでした。
神戸牛の後ろには、
山間部の暮らしがある。
農耕牛としての歴史がある。
牛籍簿による血統管理がある。
何世代にもわたる牛の改良がある。
そして田尻号をはじめとする名牛の血統がある。
そこまで知ったうえで神戸牛を食べたら、同じステーキでも見え方が変わります。
これは第1話で考えた、
「○○牛を使っています、だけではもったいない」
という話そのものです。
「ブランドの前にある物語」を伝えられるか
観光地では、有名ブランドそのものに頼ってしまうことがあります。
神戸だから神戸牛。
松阪だから松阪牛。
滋賀だから近江牛。
確かに、それだけでも旅行者には分かりやすい。
でも、本当の地域の面白さは、その一つ前にあるのかもしれません。
なぜ、そのブランドがこの土地で生まれたのか。
誰が守ってきたのか。
どんな環境で育ってきたのか。
何が他の地域と違うのか。
今回の但馬牛は、その典型でした。
世界的に有名な「神戸牛」という名前の後ろに、
1200年以上続く牛と人との暮らしがあった。
そして、地域で守られた血統が、日本各地の和牛にもつながっていった。
そこまで知ると、
「神戸牛は高級だからおいしい」
だけでは終わらなくなります。
地味に見えるものほど、地域の本質が隠れている
今回、但馬牛を調べながら、少し別のことも感じました。
観光では、どうしても有名なものに目が行きます。
神戸牛。
松阪牛。
近江牛。
でも、その有名なものを支えている、もっと地味な存在があります。
生産者。
子牛市場。
血統。
農業。
地域の風土。
長い時間をかけた改良。
そうしたものは、観光パンフレットの一番大きな文字にはなりにくい。
けれど、
そこを知ったとき、その土地が急に面白くなる。
但馬牛は、まさにそんな存在でした。
神戸牛を知っている人は多い。
でも、
「なぜ神戸牛の素牛は但馬牛なのか」
まで知っている人は、まだそれほど多くないのではないでしょうか。
和牛を知るシリーズ。
第2話にして、かなり深いところまで来てしまいました。
そして次に気になるのは、
但馬の牛が、どうして松阪や各地のブランド牛ともつながっていったのか。
「子牛を買って育てる」という第1話の話が、ここでまたつながってきます。
和牛の産地を追っていくと、どうやら日本地図の見え方まで変わってきそうです。
参考資料・出典
- 神戸肉流通推進協議会「神戸肉・神戸ビーフの定義」
但馬牛と神戸ビーフの関係、神戸ビーフの認定基準について。 - 農林水産省 地理的表示(GI)「但馬牛」
但馬牛の歴史、生産地、地域特性について。 - 農林水産省「兵庫美方地域の但馬牛システム」
牛籍簿、閉鎖的な育種、田尻号、但馬牛の遺伝資源について。 - 農林水産省 近畿農政局「近畿地方の地理的表示(GI)登録産品」
但馬牛と神戸ビーフのGI登録について。
※ブランド牛の定義や認定基準、認定実績は変更される場合があります。本記事は2026年10月時点で確認できる公式情報をもとに作成しています。
