特別編|和牛を知る #04 近江牛・米沢牛・佐賀牛――ブランド牛は、どうやって有名になったのか?

ここまで、和牛とは何か、但馬牛とは何か、そして但馬の牛が松阪牛へとつながっていった歴史を見てきました。

すると、次に気になることがあります。

良い牛を育てれば、それだけで全国ブランドになるのでしょうか。

もちろん、そんなに簡単ではありません。

近江牛。

米沢牛。

佐賀牛。

今ではどれも全国的に知られたブランド牛です。

でも、この3つが有名になっていった道筋は、かなり違います。

近江牛は、長い歴史と流通。

米沢牛は、外からの評価と鉄道。

佐賀牛は、品質基準と現代的なブランドづくり。

同じブランド牛でも、「知られるまでの物語」はまったく同じではありません。

目次

近江牛は「運べるようになった」ことで名前が広がった

近江牛の歴史はかなり古く、滋賀県の資料では、江戸時代の彦根藩で牛肉の味噌漬けが作られ、将軍家や諸侯へ献上されていた記録が残っています。

つまり、近江では明治になって突然牛肉の価値が生まれたわけではありません。

かなり以前から、

「牛肉を価値あるものとして扱う文化」

があったわけです。

ところが、良い牛肉があっても、その地域の中だけで食べられていては全国ブランドにはなりません。

近江牛の名前を広げた大きな要因の一つが、輸送でした。

明治初期には、滋賀から横浜まで牛を陸路で17〜18日かけて運んでいた記録があります。

その後、神戸港や四日市港から海路で東京へ送られるようになり、さらに1889年に東海道本線が全通。

1890年頃から近江八幡駅を使った鉄道輸送が本格化しました。

ここで面白いことが起こります。

それ以前は神戸港などを経由して出荷されていたため、東京では近江産の牛肉まで「神戸牛」として食べられていたことがあったそうです。

ところが鉄道輸送が始まると、

「これは近江八幡から来た牛だ」

と産地が分かるようになる。

滋賀県も、この鉄道輸送をきっかけに「近江牛」が一躍有名になったと説明しています。

つまり近江牛は、

昔から良いものがあった。
そこに「産地名を付けて外へ運べる仕組み」ができた。

それによってブランドになった牛だったのです。

米沢牛は「外の人」が価値を見つけた

米沢牛は、近江牛とはまったく違う物語を持っています。

明治8年。

米沢で英語を教えていた英国人教師、チャールズ・ヘンリー・ダラスが任期を終え、横浜へ戻ることになりました。

その際、米沢の牛を横浜へ持ち帰り、外国人仲間に食べさせたところ、その味が大変好評だったと伝えられています。

これが、米沢牛が外の世界に知られる一つのきっかけになりました。

ここが面白いですね。

米沢の人自身が、

「うちの牛は日本一です」

と売り出したところから始まったのではありません。

外から来た人が、その価値を発見した。

今で言えば、旅行者や専門家が、

「ここに、すごくおいしいものがある」

と外へ伝えたようなものです。

その後、横浜の問屋との取引が始まり、米沢牛の評判が広がっていきます。

そして1899年、奥羽本線が開通します。

山形県南部の牛を米沢駅から貨車で横浜へ大量に運べるようになりました。

米沢市は、この鉄道開通が「米沢牛」という銘柄を確かなものにしたと説明しています。

つまり米沢牛は、

外部評価+都市へ運ぶ交通網

によってブランドが大きくなった。

近江牛と同じく鉄道が重要なのですが、始まり方が違います。

近江牛は「歴史のある商品を外へ運んだ」。

米沢牛は「外の人が価値を見つけ、それを外へ運んだ」。

似ているようで、かなり違います。

佐賀牛は、最初から「ブランドとして売る」発想が強かった

そして佐賀牛。

近江牛や米沢牛と比べると、ブランドとしての歴史はかなり新しいです。

JAさがによると、「佐賀牛」の始まりは1984年。

関西の食肉市場で、佐賀県産の牛肉に「佐賀牛」のシールを付けて販売したことから始まったとされています。

ここが、近江牛や米沢牛とは全然違います。

近江牛は長い歴史から。

米沢牛は外部評価から。

佐賀牛は、

最初から「名前を付けて売る」ところから始まった。

かなり現代的なブランドづくりです。

しかも、ただ名前を付けただけではありません。

肉質の評価が高まり、食肉業界で「佐賀牛」という銘柄が浸透。

その後、テレビや雑誌などで紹介され、全国ブランドへ成長していきました。

さらに佐賀牛は、品質基準も分かりやすい。

現在、JAグループ佐賀管内で飼育された黒毛和種の中から、肉質等級4または5で、BMS No.7以上のものを佐賀牛としています。

つまり、

「佐賀県の牛」ではなく、
その中でも一定以上の品質の牛だけを佐賀牛とする。

ブランドの境界線をはっきりさせたわけです。

そして佐賀牛は、東京へ自分から出ていった

佐賀牛のブランドづくりでもう一つ面白いのが、都市部への出方です。

2005年、JAグループ佐賀は東京・銀座に直営レストラン「佐賀牛 銀座季楽」をオープンしました。

つまり、

「佐賀に来たら食べられます」

だけではなく、

東京の一等地で、佐賀牛そのものを体験してもらう場所を作った。

これは近江牛や米沢牛の時代とは、かなり違います。

昔は、

牛を東京へ運ぶ。

という発想でした。

佐賀牛は、

ブランド体験そのものを東京へ持っていった。

時代が変わると、ブランドの広げ方も変わるわけです。

3つを並べると、ブランドの作り方が見えてくる

近江牛。

米沢牛。

佐賀牛。

すべて高級和牛ですが、有名になった道筋は違います。

近江牛は、

歴史+流通。

米沢牛は、

外部評価+鉄道。

佐賀牛は、

明確な品質基準+市場での評判+メディア+都市部への展開。

こうして見ると、

「良いものを作る」だけではブランドにならない

ことがよく分かります。

良いものを、

どう外へ運ぶのか。

誰に評価してもらうのか。

何という名前で売るのか。

どこで体験してもらうのか。

そこまで設計されて初めて、地域の商品がブランドになっていく。

「おいしい」は、ブランドのスタート地点にすぎない

観光地の飲食店でも同じだと思います。

「うちは料理がおいしい」

という店はたくさんあります。

「地元の食材を使っています」

という店もたくさんあります。

でも、

おいしいだけで、遠くの人に知られるわけではありません。

近江牛には、鉄道という「届ける仕組み」があった。

米沢牛には、ダラスという「外から価値を伝えた人」がいた。

佐賀牛には、品質基準、名前、メディア、そして銀座という「ブランドを体験する場所」があった。

つまり、

ブランドには必ず、「価値を外へ届ける仕組み」がある。

これは飲食店にも、そのまま当てはまります。

いい料理を作る。

それはもちろん大切です。

でも、その次に、

誰が伝えるのか。

何という名前で伝えるのか。

どこで体験してもらうのか。

何を理由に選んでもらうのか。

そこまで考えて初めて、店の価値が外へ広がっていきます。

ブランド牛を調べると、経営の話になってくる

和牛について調べ始めた時は、

牛の種類や産地を知るシリーズになると思っていました。

ところが、第4話まで来ると、

だんだんブランドづくりの話になってきました。

近江牛は、

価値あるものを、運べるようにした。

米沢牛は、

外から価値を発見してもらった。

佐賀牛は、

価値を明確に定義し、自分たちから売りに出た。

時代も違う。

場所も違う。

方法も違う。

でも共通しているのは、

良いものが、そのままブランドになったわけではない

ということです。

地域の中にある価値を、

どうやって外の人に知ってもらうのか。

そこにブランドづくりの本質があるのかもしれません。

そして次回は、この話をさらに観光へ近づけます。

全国大会で高い評価を受けたブランド牛は、飛騨牛だけではありません。

それなのに、

なぜ飛騨牛は「高山へ行ったら食べたい牛」になったのか。

第5話では、飛騨牛が「良い牛」から「旅の目的になる牛」へ変わった理由を考えてみたいと思います。


参考資料・出典

※本記事は2026年10月時点で確認できる各自治体・生産団体等の公式情報をもとに作成しています。

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